signal

この日 この場所に いることの不思議
ここに いることを 確認すべく 微弱な信号を……
何億光年彼方の Xへ向けて

へばな!

 

 

 

UGEMテーマ:日記・一般

 

何年前のことだろう?

WindowsXのサポートは終了しています

 

一年ほど前にやっとXPを処分したのに、

今度はウインドウズ7ですか!

 

かろうじて連れのPCは10で、

わたしのPSが7だったのですね……、

そんなの関係ねぇ と思ったのですが、

なんだかメールもヤフーの画面も動きがにぶいですね、

どうしたらいいのかしら?

考えても答えのでることではないですが……。

 

 

******

 

 

白内障の両目手術を終えたのですが、

あまり見えるという実感はなく、

現状の視力になれるという、

現実がだんだん遠くなる〜、

老化とは不自由に甘んじるということでしょうか?

いや、なれさせようという諦めと意地で頑張る決意を固めています。

 

******

 

今朝の日曜美術館、

ソール・ライターの写真の視点はいいですね。

彼の生き方にも通じる、

主義主張をふりかざさない自然な視線がいいんでしょうね。

 

 

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/

 

 

*****

 

行きたい展覧会が、

森村泰昌 個展

「エゴオブスクラ」

〜闇に包まれた曖昧な自我〜

ああ、やはり自我だよなあ、

離れがたき自我、

「私」を問う師は彼方へ逝ってしまいましたが〜

 

 

 

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/21005

 

 

 

 

 

 

今日の占いは横向きで、消極的に、

へばな!

 

| つれづれ | 11:35 | comments(0) | -
緑の骨

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

雪まじりの雨が降り寒いこと……。

片づけものをしたら座布大の電気ミニマットが出てきて、

これはいい、あったまる〜。

 

なんだか一月も終わりだよ〜。

疾風のように行ってしまう。

気持ちがついて行かないわ、

気持ちって何よ?

 

肉体なるものは、

身体を維持する機能さえ続けば、

気持ちなどなくても生きていけるんです。

 

ほんとにそうなのだろうか?

ほんとに気持ちは残っていないのだろうか?

誰に聞くこともできない。

 

大事な人がどんどん逝ってしまって、

これはみなほんとのことだろうかと思う。

 

あ〜あ、ため息もでやしない……。

 

 

義母の火葬は、

年末からの死亡ラッシュで遅れ、

埼玉の「しののめの里」という、

ホテルと見間違う清潔かつ美しい施設で執り行われた。

 

何もかもが整然として、

つるつるの壁や天井に覆われた四角い空間に、

6個ほどの炉の扉があり、

棺はするすると炉の中に収められ、

見送る家族は待合室に移動する。

 

無機的な空間での儀式は、

感情も無機的になるものなのかしら……、

ただただ忘れたものがあるような気がして、

それが何なのかもわからない。

 

昨年亡くなった弟と比べるせいか、

母の骨はホントに少なくて、

こんな骨で体を支えていたのかと、

愛おしいような気がした。

それになんだろう? 

この緑色の骨は?

 

ああそういえば、

だいぶ昔ブログに書いたことがあったと探して見た。

 

 

 

 

 

以下は2006年のブログ記事です

 

 

***********************

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い骨 青い骨
昨日が仕事納め、今日から休み。
大掃除も、御節の用意も、正月飾りも、例年の如く何もしない。
巷では競うように、お歳暮、御節、お年賀の商品が並び、
一日が一週間が……予定されたフォーマットで、一年が消費されていく。
新聞の論説委員が書いていた。
現代はあらゆることの速度をもっと落とす必要がある。
走るな。歩け。自分の足元を見ろ。
藤沢修平は徹底した流行嫌いでしたが、それは
「人を押し流すその力の正体が不明だから」でした。
ゆっくり歩くことによって、彼は、人を走らせるものの不気味さを感じ取っていたのだと……。


もうひとつ新聞記事で思ったこと。
[環境ルネッサンス 人体にみる汚染]
関東地方の市立火葬場。火葬中を示す炉の赤ランプが消え、棺の載っていた台を、背広姿の職員が引き出した。灰に交ざった頭骨の内側の一部と、大腿骨の端が、うっすら緑色に染まっている。
火葬された骨が緑、ピンクなどの色に染まるのはなぜか。関西医大教授(法医学)赤根敦さんはそう聞かれたことが数回ある。その都度、「リューマチなどの治療に使われる抗生剤により、骨が青く変色することがある。」
「火葬骨灰に生ずる色の意味するもの」人骨中の金属の影響を示唆している。
「緑色は(火葬)件数の1%に発生して、鉄または鋼によるものと思われる。ピンク色は件数の15ないし20%に生じ、胴によるものである」
長期の闘病で薬漬けになった遺体は少なくない。人骨は臓器に比べ、有害化学物質が蓄積しやすいといわれる。


人体は環境汚染だけでなく、薬で汚染されている。
眠れないと睡眠薬を飲み、風邪をひく前に風邪薬を飲み、消化剤を飲みながら食事する。
ひとり未来の光景を想像し、笑う。
地球最後の日には、
赤い骨、青い骨、黄色い骨と、色とりどりの骨が転がるのだろうか?

 

 

 

| つれづれ | 10:45 | comments(0) | -
母の記憶

 

(母のレリーフ) 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

年が明けた。

年末から死線を彷徨っていた義母が逝った。

 

延命措置はしないと言ったけれど、

点滴や血圧の管理も延命措置ですよと医師から言われ、

なんの治療もしないでくださいと言う事はできなかった。

 

母に聞くことはできないし、

まして認知症だった母は正しく判断することもできないだろうと。

 

経鼻栄養から高濃度点滴を続け、

某大学病院から老人病院に転院した。

母の生命力は強く、

時々目を開け、独り言も呟くようになった。

 

よくなるわけはない。

けれどおだやかに寝ている母を見ると、

楽しかったころの夢を見ているのならそれもいいのかなあと……。

 

意識のない病人の気持ちなど、

誰もわかるわけがない。

ねえ、おかあさん、どういう気持ち。

自分がどうなってるのかわかる?

どうしてもらいたい?

 

 

***

 

年明け1月6日に白内障の手術の申し込みをしていた。

母が危篤状態になり、

もしかして手術もできないと思ったが、

手術の日は病状が安定した。

手術の後病院に見舞い、

翌日は術後の検査で病院に行き、

その後で母を見舞った。

血圧、心拍数とも安定し、医者から療養型病棟に変わりますかと言われた。

それが夕刻、病状が急変し、亡くなった。

 

脳こうそくを発症し三月の闘病生活だった。

 

倒れた日に、そのまま逝かせてあげればよかった。

 

もし、自分が母の立場だったら、

弱った姿を人さまにお目にかけたくないし、

さっさとおさらばしたいなぁ……。

 

***

 

 

(2017年に書いた母の詩)

 

初夏の蒸し暑い夕暮れ時だった

ふいに 

通り過ぎていく母の気配を

なん人も なん人も 

感じた

 

 

母の記憶

 

デデーポポーと鳩がなき

行きすぎる人がみな同じに見える

誰そ彼どき

 

わたしがいないわたしのなかに

母の記憶がすっくと立ち上がり

 

こんにちは こんばんは

ありがとう ありがとう

道行く人に握手を求める母が

幾人もとおりすぎる

 

デデーポポーと鳩がなき

行きすぎる人がみな幽世の人に見える

逢魔がどき

 

ありがとう

ありがとう

さようなら

さようなら

 

道行く人に手を振る母が

幾人もとおりすぎる

 

母の記憶に上書きされたその人は

わたしを見て

わたしに触ってと

行き交う人の誰にでも

手を差し伸べる

 

 

 

ほんとうに不思議というか奇妙な人だった。

                 

                     

 

 

 

 

 

| つれづれ | 12:01 | comments(0) | -
母からの電話

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

お正月何時ぐらいに来る?

えっ、お正月って?

いいよゆっくりで、気をつけてきてね。

と、臨終の義母から電話をもらった。

そんなことありえないと、驚き、連れにはなしたら、

正月はいつも行ってるじゃないかとしか言わない。

だってお母さん一週間持たないって言われて……。
聞く耳を持たない連れをあきらめ、

義姉に電話をかける。

正月は何時に来るのってお母さんから電話をもらって……。

なるべく早く出るけど、道の込み具合で何時になるかわからないわね。

お姉さん、お母さん危篤状態でしょ。

なにを言ってるの?

 

そんなことあるわけがない、娘に電話してみなきゃ、あとは息子にも……。

 

    *         *

 

たぶん夢なのだと、夢のなかで思っていた。

SFとかミステリー小説を読みながら寝ているからなのだろう、

奇妙な夢ばかり見る。

ああ、つい最近のことのような気がする。

義母のにぎやかな声が聞こえる。

気がついたら、

遠眼鏡を逆さに見るように、

だんだん遠くなる世界……。

 

  *

 

電話が鳴る。

もしもし、もしもし、

受話器を耳にあてても無言が続く。

これは現実?

たぶん、入院中の母の電話だ。

 

 

   *

 

 

今年は喪中だから、正月もないのだけれど、

何をしたらいいのかもわからない……。

 

 

  

| つれづれ | 10:31 | comments(0) | -
冬日 欠伸

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

朝起きて、

窓の外を見ると川沿いの道に亡者が立っているような気がした。

白い立看板がそう見えただけだったけれど、

 

グレーとか灰色とか、

言葉で言い表すことなどできない空の色は、

郷里の空に似ている。

子どもだった私は、

こんな空を背負って黙って歩いていたのかと……。

 

令和の心 万葉の旅 の中西進氏の文に、

 

 死とはなんでしょう。木が枯れる、野菜がしなびるといいますね。これは水分がなくなることです。そして「かれる」とは「離れる」ことで、人は呼吸を止め、魂が離れるとほんとうの死がやってくると古代の日本人は考えました。ただ、近代人には目には見えない魂はわかりにくいので、やはり死とは植物のように水分が亡くなり、しなびていくことだと思っています。

 草冠の「葬」という字をごらんなさい。死という字の上にも下にも草がありますね。形を変えて自然に返っていくのでしょう。

 

 

病院のベッドで

経鼻移管栄養の義母は、変形した胃袋がそのチューブを受け付けず、

静脈からの栄養補給に変わった。

見た目では、鼻からの管が首からに変わっただけなのだが、

顔がすっきりして表情も見れるようになった。

眠ってばかりいる母の頭の中を知りたいと思う、

なぜなら、

おそかれはやかれ私もそうなると思うから、

病院か、特養か、自宅か、

いずれかのベッドの上であればそれにこしたことはないが、

臨終の私はなにを思うのだろうか?

 

 

数日前に母を見舞ったという連れが、

植物状態の母が大きな欠伸をしたと言った。

 

むか―し小さかった飼い犬を散歩させたとき、

はじめて足をあげて電柱にションベンしたのを見て感動した、

それと同じくらいに感動したよ〜と。

 

義母の顔を思い浮かべ、なんだかおかしかった。

 

 

 

 

 

| つれづれ | 09:48 | comments(0) | trackbacks(0)
冬来たりて

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

急に冬になりました。

一昨日は病院を四軒はしご、

ここにきて原因不明の足痛に見舞われ、

痛い左足をかばって右足が動かなくなり、

 

母の転院や親戚の不幸が重なり、

出かける用事が増えるけれど、足が動かない。

ああ面倒臭い、こんな足などいらないと放り投げてしまいたい。

 

  ☂

 

新聞の時の余白に、

インドを描いた女流画家、

秋野不矩 のことが書かれてました。

インドに心酔し、インドを描いてきた方のようで、

 

 描かれた廃墟、僧房跡、壁の表面には、人の生への目がある。

 空を覆う黒雲、銀の線をなす驟雨、氾濫する大河、そこを渡る水牛の群れには、

 人をこえるものへの畏敬がある。

 大地に存在するすべてに画家は等しく視線を注ぎます。

 

 

 

 

 

 

懐かしい印度の景色が浮かびます。

 

夕闇の其国は冥界の入り口で、

夜の彼国はもう冥界そのものです。

 

それに比べ東京は、

ただただコンクリートと化学物質で作られた街……。

 

「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻(おういん)をし、最後に長く「クリート」と曳(ひ)くのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ。

 

   萩原朔太郎 虫より

   https://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/395.html#ANK11

 

鉄筋コンクリート、

数時代前に歌われたその言葉の響きは、

美しくも怪しかった。

半世紀も前のこと、

田舎のネズミが東京に出てきて、

都会の建物はただただキレイでまばゆくて、

目を見張ったけれど、

今はそういう場所から遠ざかりたいと思うだけ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

| つれづれ | 10:53 | comments(0) | trackbacks(0)
至福の視点

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

昨日は雨が上がり、

生暖かい南風が吹いた。

義母の転院が決まり、

急性期対応のマンモス大学病院から、

リハビリ型の療養病院に、

ストレッチャーに乗り介護タクシーで移動した。

 

経鼻栄養の母は目を開けることも無く、

夢を見続けているようでもある。

母はこの状態を良しとするだろうか?

問いに答えるわけもなく、黙って見続けるしかない。

もしも自分がその母だったらと思う。

自分の状態がわからないのだから、

まあいいかあ〜。

もしかして、

その状況がぜんぶわかっていたとしたら、

そうなのか、そういうことなのか……と、

おもしろがって、観察しているかもしれない。

脳にダメージを受けるという事はこういうことなのか?

それでも失われない自己というのはあるのだろうか?

自分だったら、それを表現できないのが苛立たしいだろうなぁ……。

 

『有限存在と永遠存在』エーディト・シュタイン著

 

 

 

高価な本なので図書館に予約し届きましたが、

 

この厚さ、びっしりの文字!
読み切れるだろうか?

アウシュビッツのガス室で、

一般人として処刑されたカトリックの修道女、

死んでまで一般人と高貴な人と、

この世の価値観で分けられるのかしら?

複雑な気持ちですがね。

 

彼女はどうだったんでしょうかね、

神の存在を信じたんでしょうかね。

 

神さまは神さまに相応しい方法で人の精神に神さまの教えを与えた。

それは一目で、

全被造物を把握する単一の視点。

 

かみさまは、

一瞬で、

過去現在未来のすべての現象、

心象を見ることができる……?

 

想像するだけで恐ろしい!

もちろん神さまは自分を見ることもできるんでしょうね〜。

いやあ見れるというものではないでしょうよ……。

 

 

 

★シュタインは『有限存在と永遠存在』の第1章「緒論――存在の問題」でこう書いています。「神は己れの叡智が良しとする範囲内で、己れの叡智に相応しい方法で、人間精神に己れを伝達する。範囲を拡げるか否かは神の意志次第である。人間の思考方法に適合した形で、つまり漸進的認識に合わせ、概念的・断定的把握に即して啓示を与える、人間を自然的思考方法から引き上げ、それとは似ても似つかぬ認識方法へと拉し去り、一目ですべてを把捉する神の視点に据える、いずれも神の裁量である。真理探究としての哲学の到達点とは他でもない、神的叡智である。神をも全被造物をも把握せしめる単一の視点である。被造の精神が(無論自力によらずして)到達し得る極致とは、神のお蔭で神との合一を現出する「至福の視点」である。神の恵与せる視点である。被造の精神は神の生命と共生し、かくて神的認識に参入するのである。地上に生を営む間は、神秘的視覚心像が、上記の至高の目的を達成するための最重要な手掛かりとなる。が、かかる至福の恩寵に頼らぬ予備段階もある。真の生きた信仰がそれである」(4344頁)。

 

★『有限存在と永遠存在』は、ブレスラウ(旧ドイツ帝国、現ポーランド)生まれ、フッサールに学んだユダヤ人哲学者で、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のガス室で亡くなった修道女のエーディト・シュタイン(Edith Stein, 1891-1942)の主著『Endliches und ewiges Sein: Versuch eines Aufstiegs zum Sinn des Seins』(Nauwelaerts / Herder, 1950)の全訳。執筆されたのは1935年から36年にかけての時期ですが、当時の発禁処分により死後刊行となったものです。

 

 

| つれづれ | 11:46 | comments(0) | trackbacks(0)
をとめは夢のなか

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

数日、気持ちの良い朝が続きます。

窓からは、朝日を受けて赤く輝く建物が見えます。

川沿いでは鴨が泳ぎ、

白鷺は優雅に歩き、長い首を伸ばします。

橋の中ほどに止まった人が川の景色を見ています。

 

見ている人を見ている私がいます。

ふと、人はなぜ見るのでしょう? と思います。

赤ん坊が動くものを追うように、

そう仕組まれているのでしょうか?

 

新聞の「四季」長谷川櫂

の石牟礼道子さんの歌に惹かれます。

 

さすらひて死ぬるもわれも生ぐさき息ながくひく春のひた土に

 

さすらいの果に死んでゆくのだなあ、この私も。

春の地面にうち伏して「生ぐさき息」をいつまでも吐きながら。

生も死もきれいごとでは片づかない。

それが生きものである人間の宿命というのだろう。

 

もゝいろの蓮華の中につぶり座し夢間にこの世をはるすべなきか

 

蓮の花の中で目をつぶり夢を見ている人。

仏のようでもあり胎児のようでもある。

その夢の間にこの世からいなくなれたらいいのに。

娑婆の苦しみを知らずに。

夢から覚め、蓮の花を出てきたのが人間。

 

 

 

 

 

 

夢の世界から出てきてしまったのが人間、

生ぐさき息を吐き、

……果てるのが宿命。

 

まあたらしゆばりのにほひ冬の野に残りて大股にをとめ去りゆく

 

わたしの「をとめ」はとうに瞬息で去ったけれど、

そういう時代があったことは夢のなか……。

 

 

| つれづれ | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0)
またも雨

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

昨日もしとしと雨が降り続き、

郷里に住む義妹に、

こんな陰気な夕暮れは家に帰るのが嫌になりますねと、

無神経なラインを送り、

今日は夫の月命日ですという返信をもらいました。

 

ああ、そうなのか、こうも陰気に滅入るのは、

忘れてくれるなというあの人(弟)の、

いや私の未練なのかしら……。

 

 ☂      ☂

 

台風で水害に見舞われたというのに、

今日も雨です。

 

知人からお借りした金井雄二氏の

「短編小説をひらく喜び」を読みました。

私の好きな作家、読んだ本があり、

また読んでいないものは今度読んでみようと思いました。

 

 

http://shiika.sakura.ne.jp/beloved_poet/2012-12-28-12674.html

 

いただいた詩誌『扉』には、

私淑する詩人「菅原克己」とあり、

読んだことがないので図書館で詩集を借り読んでみました。

姉は高橋たか子で、

彼女の影響で詩を書きはじめた云々。

ええっ、あの高橋たか子!

高橋たか子の「誘惑者」、

私にとってあれに優る現代小説はないのです。

 

調べてみたら、

同姓同名の別人でしたが……。

 

「菅原克己詩集」

いい詩や散文がありましたね。

今の時代、詩を書く人も読む人も、

絶滅危惧種的存在ですが、

言葉をつなげただけなのに、

良い文章は、

深くて広い、

言い難い何かがあるんです……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 読書 | 10:26 | comments(0) | trackbacks(0)
人生は怪奇小説

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

昨夜久しぶりにモーパッサンの「オルラ」を、

大好きな小説だけれど、

読み直して、なんと奥深い掌編なのだろうと……。

 

全文を書き写したいけれど、

それは青空文庫から読んでいただければと思いましたが、

青空文庫に掲載はないですね〜。

 

 

http://maupassant.info/conte/horla1886.html

 

 

・世界幻想文学大全 

怪奇小説精華 東雅夫 ちくま文庫

 

 

 

 

 

私の家が好きだ、

窓からは野川が見える。

もしもこの地上に、

我々以外の何ものかが存在しているとしたら、

どうしてこんな長い間、

我々はそれを知らずにいたのでしょうか?

 

私バージョンで始めます。

 

坊さんが答えて言います。

 

いったい、われわれは存在しているものの十万分の一も見ているでしょうか?

ごらんなさい、今風が吹いています。

これは自然界で一番強力なものです。

風は人間を倒し、建物を覆し、樹木を根こそぎにもすれば、海原を挙げて水の山ともします。

断崖を崩壊し、大船を暗礁に乗り上げさせます。

風は人を殺すかと思えば、嘯きもする。

嘆くかと思えば、たちまち怒号する。

その風をあなたは見たことがありますか? 

見えなくとも風は依然として存在してるのです。

 

それが次々と襲い来るのが、

台風なのではないでしょうか?

 

 

 

いったいどこからあの不思議な潜勢力がやってきて幸福を失意に変じ、

自負を悲嘆に変えるのか?

眼に見えない空気の中には何とも知ることのできない『力』が充ちみちていて、

神秘的影響を受けるのかもしれません。

急に何か悪いことが、妙に滅入った気持ちになる。

肌をざわざわさせる悪寒。

雲のすがた日の色、変わりやすい四囲の事物の色、目から身内に入り攪乱する。

すべてわれわれがふれているもの、

我々の器官の上に、器官を通じて、

観念の上に、心臓の上に、影響を及ぼしている。

『眼に見えぬもの』の神秘、五感でそれを測ることはできない。

 

自分の意思を自分で動かす能力もない。欲するという事ができない。

 

実に我々はぜい弱で、無力で、無能で、矮小なのだ。

一滴の水に溶けて、回転している、この一塊の泥の上に住んでいる我々人間という奴は。

 

 

 

この奇妙な空気の、

わけのわからない何かを、

いつも感じるのです。

言葉では表現できないけれど、

自分のなかのどこかで過剰に反応する、

そのものを、

なんと呼べばいいのだろう?

 

 

オルラでは、

ヨーロッパを襲った吸血鬼伝説、

伝染性の精神錯乱に酷似せる狂気を書いている。

 

彼らの言うところによれば、

自分らの眠っている間は自分らの生命を食らい、

また、水と牛乳のみを飲んで、他の食べ物には手を触れないらしい一種の吸血鬼、

確かに居るのに見ることができない存在のため、

家畜同様に、追われ、取り憑かれ、支配される。

それがオルラだったけれど、

 

私にはそれが人の体に入り込み侵略する「がん細胞」や、

いま義母のからだのなかに居座る「真菌」のように思える。

 

そのものの本性は完全であり、巧妙で精緻だ。

 

我々の肉体は脆弱で粗悪で、

その中に詰まっている器官はぐたぐたに疲れているし、

複雑すぎるばね仕掛けのように無理が多い。

我々の肉体は動植物と何のかかわりもなく、

空気や草や肉類からかろうじて栄養を摂って生きている。

まことに動物じみた機械で、すぐに病気になり、かたわになり、腐ってしまう。

疲れやすく、でたらめで、簡単でありながら怪異で、

工夫をこらしてありながら出来が悪く、粗雑なくせに微妙な機械なのだ。

ひと口にいえば、知能ある、立派なものに今後なるかもしれぬ生物の輪郭に過ぎぬのだ。

 

ほんとにそう思う。人間はおろかで、

その愚かな人間のへそのゴマにも値しない私。(ー_ー)!!

 

牡蛎から人間に至るまで、(なぜ牡蛎なのかは?)

われわれ生物は、この地球上に於いて実に微々たる存在に過ぎないのである。

あらゆる異った種族の継続的な出現をそれぞれ隔する時期が終わった以上、

何故もう一つの存在があってはいけないのか?

 

何故もう一つの存在が無いのか?

なぜ、地水火風以外の元素がないのか?

万物をはぐくむ親、ただかれらは四つ、

なぜ四十、四百、四千あってはならないのか?

 

彼の想像は歯止めが効かず、

宇宙の百倍もある蝶の夢想に至る。

 

 

ああ、それで彼は「オルラ」を抹殺しようとたくらみ、

悲惨な状況を招いてしまう。

 

 

なんと長々と引用してしまったのだろう。

この世界の仕組みは未知にして、

行く末も怪奇に満ちている。

 

そのことを感じ取り、

これほど表現できる素晴らしさ、

百数十年前のモーパッサンは狂気で死にましたけれど、

彼は狂ったのではなく、

真実を感じ取ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 読書 | 11:27 | comments(0) | trackbacks(0)
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