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この日 この場所に いることの不思議
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岡虎ノ尾

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

梅雨というのに雨も降らず、

七月になってしまいました。

今日は半夏生。

 

文月の花は、

ホタルブクロと岡虎ノ尾とやら、

花の名前も風流きわまりないですが、

明日からは炎暑になるとか。

ああ厭暑、ぞおーっとします。

 

   涙

 

最近は、

朝の二時間ぐらいしか脳が働きません、

貴重な時間です。

 

在りし、

在らまほしかり

三島由紀夫

 

高橋睦郎 氏の本を読み終わり、

「三島由紀夫」とは という漠としたものが見えたような気もします。

 

第三番札所 断腸 山三島寺

ちちははのめぐみもふかきはらわたをたちてさらすはよひとさめよと

      

    ザンネン

 

痛ましいですね〜生まれてきてはいけなかった人ですかね〜

いや生まれたくなかった人でしょう

 

 

わたしに知力と筆力があれば、

高橋氏の書いた三島のことを書いてみたいのですがね〜

 

     ちーん

 

 

印象に残った文を抜粋してみました。

澁澤龍彦は三島の腹切りを「ほんとうの愚行」といい、

「三島ぼし傊(お)つ」という追悼文で

 

『あの顔はどうも最初から生首であり、獄門台の予想すらそこになかったとは云えない』『罪人の特徴は何よりも死を厭うことの上にある」「死など初めから相手にしなければよいのに、彼らにはそれが出来なくて、いつも死に追い付こう追い付こうと焦っている。三島由紀夫の場合は、怖さの余りに我から死に飛びついたようなものだ」とまでいっている。

 

稲垣 足穂に至っては、

 

「男性の秘密を知っていた」のは事実だろうが、その上で三島さんの死にかたを「男性の秘密」から遠いと断じているのだ。

秘密とは女性的なものをさすものと思っていた私には、男性の秘密というものが知りようもなく思われる……。

 

高橋氏の三島のとらえ方は好意的でも賛美でもなく、

三島の才能は認めているものの、畏怖嫌厭的な解釈に思われる。

 

 

 

以下は、在りし、在らまほしかり 三島由紀夫 の抜文です。

 

一貫しているのは。存在感の希薄、自分が今ここにいるというのは虚妄で、ほんとうはいないのではないかという、冷え冷えとした自らへの疑問です。

同じ傾向が自分にもあるので、よくわかるのです。

 

 

 つぎつぎに世間を驚かせる作品を書き、衆目を瞠らせる行動を起こす。それらに対する外からの反応のみがその根源的恐怖をつかのま忘れさせてくれた。〜休む間もなく書きつづけ、行動しつづけなければならない。それだけ緊張し続けても、自分はほんとうは存在していないのではないかという根源的恐怖は去らない。この堂々めぐりに四十五歳の三島さんは疲労の限界にあったのではないか。

 その緊張の連続から、疲労の限界から逃れる方法はないか。それが同時に存在感の獲得でもある、そんな方法はないか。その方法が割腹だったのではないでしょうか。

 

 想像上ではなく実際の割腹においてはどうだったか。〜割腹の過程の短時間の現実的な苦痛において、ただいま自分は存在を獲得した、自分は疑いもなく生きている、と。しかし、介錯の剣により首をはねられるとともに苦痛は去り、同時につかのまの存在感も失われるわけです。

 

三島の離人症的気質は、理由なき殺人をするものと似ていると思う。

自己確認の衝動、秋山駿氏がつぶやいた、

「おまえみたいな奴、お前だろう」という言葉は、秋山氏自身に向けられた言葉だった。

 

 

 

文芸というものの本質はつまるところ、神か無目的の自然の意志が作り出した世界の秘密をさぐる覗きのわざです。その秘密が、結果的に虚無に過ぎなかったとしても、それを覗きつづけ、書きつづけることが、語る者として選ばれた人間の義務だ、と思うからです。

 

 

 三島の生き方には反対原理を持ってくるという考え方が根本にあった。非常に邪悪なものがあった、だから非常に澄んだ人として振る舞うことがことができた。非常に公正でない部分があった、だから本来公正な人よりももっと公正に振る舞うことができた。あまり男性的な人ではなかった、だから本来男性的な人よりももっと男性的に振る舞うことができた。いろんな反対原理で生きることがあった人だから、その死に政治的な理由を持ってきたことは、自分のエロティシズムを完成させるためには反対のものが必要で、その雑駁なものを持ってくることによってエロティシズムとしての死を純化するところがあったような気がします。

 

 

 

三島の気持ちを推し量ることはできませんが、単に自分の心情を押し切る、舞台演出のためというには、あまりにもエゴイスティックと思います。彼が右翼的なんらかの思想を持ち、決意のもと腹切りをしたのか? それとも自分の美学を演出したのか?

存在したくなかった人は、劇的に去らねばならなかった、男性的でなかった彼は、潔く去らねばならなかった。

卑小な存在である自分を認めたくなかったということでしょうか? 

あきらめなさい、どんなに偉い人だって、とどのつまりは虫けらごとき、虫に失礼ですが、存在でしょう……。

私はそう思います。この宇宙の中であなたとわたしの違いなんて無きに等しいです。

 

 

 

 

〜三島のすべて自ら主体でなければすまない生き方・死にかたに疑問を感じつつならってきた、〜重要なのは表現されるべき対象であり、自分はそのための道具にすぎない、表現の道具である自分はあたうかぎり低くみじめな存在でなければならない

 

あたうかぎりひくくみじめなそんざいになる必要もなく、そう思うことが、自分は特別な存在ということでしょう、たしかに、自分は特別な存在です、自分の主観を通して発信しているのですから仕方のないことです。透明人間にはなれません。

物書き、芸術家、なんとも割り切れない、エリート意識の存在です。

 

つまりは三島は生まれたときから、生まれたくないと思っていた、存在したくなかった、けれど黙って死んでいくのも自尊心が許さなかった、男性的とは言えない自分を虚飾し劇画タッチで死んでいきたかった、ということでしょうか?

 

 

なんか疲れました、限界です。

選挙行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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