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この日 この場所に いることの不思議
ここに いることを 確認すべく 微弱な信号を……
何億光年彼方の Xへ向けて

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マスクラシー

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

嵐が来るというので、

鉢植えや外に置きっぱなしのスコップ、

雪かきのシャベルを片づけ、

ベランダの椅子もしばりつけ、

万全の準備をしたら、何事も起らなかった。

 

そんなものさ、人生なんて!

何事も起こらないにこしたことはないけれど……。

 

西部邁の「保守の遺言」を読みはじめて、

マス論=「砂粒の山のように、一個ずつバラバラでありながらも、砂山のように群なす大量の人々」

誰がどうかじをとるのか知らないけれど、

群衆の力は恐ろしい。

古今東西の昔も今も、

そのマスの力で時代が動いてきたのだろう……。

 

   携帯

 

まだ序盤しか読んでいませんが、

彼の言う「スマホ人」の群れを目にすると吐き気を催し、

電車に乗れなくなり、

移動はすべてタクシーを使うとか。

 

そうそうとその異常な光景を見て首を傾げるが、

かくなる私もスマホを持ち四苦八苦している。

確かに便利なのだ。

知りたい情報がすぐ出てくる。

道にも迷わないし、探し物も見つかる。

外付け脳のように、必要な情報を記憶させておくこともできる。

最近は入力操作もいらず、

入力がうまくいかないと、

スマホのマイクに向かい、

めんどくせえとぐちりながら言うと、

「めんどくせえ」の意味まで表示される。

 

 

 

 

 

 

 

こういう本を読まない私には、

西部の言葉は難しすぎるけれど、

なんとなく言わんとすることはわかる気がする。

これだけ言うことがあるのだから、

自裁死などしないで書き続けてほしいと思うのだけれど、

いやいや結構かっこつけの男なのかもしれない。

 

テレビの討論番組を私は見ない(なぜか見ると腹が立っので)

 

 世論人気に迎合せんとする間抜けな発言が溢れ返るのがメディアではある。

 しかしそれらとてどんな時代の危機においても

 必要なエンターティメント(余興)ととらえれば、

 余興のない時代などありはしないと弁護することができる。

 エンターテイメントとは、「互いに抱き合うこと」をさす。

 現代人はあまりにも寂しいので折あらば誰かと抱き合おうと必死なのであろう。

 そう考えればテレビの提供する余興も必需品の一種だといってよいのであろう。

 

 

こんな事を書くより、読み進めた方がいいと思うものの、

かくも横文字の多いのには閉口……。

 

 

 

 

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