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この日 この場所に いることの不思議
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何億光年彼方の Xへ向けて

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ねじれねじれて……

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

台風の余波か、

涼しさの恩恵にあずかっている……。

 

三十五度超えの世界では、

なぜか呼吸困難になった。

 

オウム真理教13人全員の死刑が執行された。

 

ふと割り切れない思いにとらわれる。

 

人の命を奪うというのは、

正義という名を借りた国家であれ、

どういうかたちであれ殺人ではないのか……?

 

 

むかし多くの男子が、

国のため家族のため、

人を殺したではないか。

殺さなければ殺される、

所詮動物となにほどの違いがあるだろうか?

 

わたしは取り立てて主義主張があるわけではない。

 

 

  ☆ ★

 

 

新聞で三木成夫の名前を見つけ、

松岡正剛の千夜千冊のブログへ。

 

「胎児の世界」は以前驚きをもって読んだ。

わたしのなかにある郷愁は、

累々と続く生命記憶なのかもしれないと思ったり……。

 

ここでまたねじれの話を読み、

大いに笑った。

 

 そうかぁ、人も、人との関係もねじれているよなあ〜。

 内臓も、神経も、DNAにウンコだって……。

 

 ねじれねじれて、

 なんだかわけがわからなくなっているよ。

 

 

 https://1000ya.isis.ne.jp/0217.html

このあと、三木先生とぼくは「ねじれ」の話に終始した。人間はねじれている、人体のどこかしこもねじれている、生命の本質はねじれであろう、そんな話だった。
これはぼくがジル・パースのスパイラロジー(螺旋学)を持ち出してから弾んだもので、ぼくの造語による「捩率」(れいりつ)に関する談義なのである。ぼくはそのころ、自然界の動向を捩率のふるまいによって見ていて、「捩れ的相似律」に凝っていた。けれどもそれを人体のすべてにあてはめるなんてことまではしていなかった。ところが三木先生は、体も命もなにもかもが捩率でできていると言うのだった。それをまたまた嬉しそうに話した。ぼくは最初こそ大きな声で快活に話していたのだが、なんだかだんだ小さい声になっていった。
「だって松岡さん、内臓の末端は全部ねじれているんです」「そうですよね」「へその緒だって、十二指腸だって、大腸だってね、そうでしょう」「ええ、ええ」「実はね、耳もねじれですよ」「はい、はい、三半規管なんて、全部ねじって出来ている」「いや、それだけじゃない。うんこだってねじれているんです。えっ、そうでしょう」「うん、うん」「あれはハッキリ言って、捩れドーナツです」「いや、ねじりドーナツ、でも、そういえば‥」「あのね、実は脳もねじれてます。ニューロンそのものが松岡さんのいう捩率の産物なんです」「ええ、捩率脳」「声だってねじれているから発声できるんだと思いませんか」「はあ」「それから、歩き方ですよ。人間は体をねじって直立二足歩行しているわけですよ」「ええ、ロボットも」「もっと決定的なのはね、赤ん坊がねじれて出てくるということです!」「はあ、こう、ぐるぐると。ずうっとそうかなって思ってました」。

 

 

 

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